処感 2002年2月

…温故知新…日々・徒然・処感・緒感…








静かに思へば、万に、過ぎにしかたの
恋しさのみぞせんかたなき。
人静まりて後、長き夜のすさびに、
何となき具足とりしたため、残し置かじと
思ふ反故など破り棄つる中に亡き人の手習ひ、
絵かきすさびたる、見出でたるこそ、たゞ、その折りの心地すれ。
このごろある人の文だに、久しくなりて
いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、
あはれなるぞかし。
手馴れし具足なども、心もなくて、
変はらず、久しきいとかなし。
〔徒然草 第二十九段〕


“つれゞなるまゝに…”ですね(笑)
えるぜ





処感 2002年2月


*・・・着地・・・*

at 2002 02/01 14:29


『政治とは情熱と判断力の二つを駆使しながら力をこめて
 じわっじわっと穴をくり貫いていく作業である』
(職業としての政治)_M.ウェーバー

巨人ウェーバーの言葉が昨日の讀賣朝刊の
編集手帳に掲載されていた
こういう局面の時に読むと特に
「じわっ じわっ」という言葉から
「職業」=「ベルーフ」=「天職」の重みを
再び感じた。

腰を据えじっくりと透徹した眼差しを
保ち続け使命感を持って「仕事」に専念されている政治家の方はどれくらい
日本に実在するのだろうって物凄く
疑問に感じる。



外務大臣に川口さんとのこと。
緒方さんはやはり断った。

緒方さんは国際的な要人である。
今までの仕事を投げ打ち、
内閣のドロドロに入ってしまうこと
私は個人的には相応しいとは思えなかったので
ちょっとホッとしたけれど、
まさか、小泉首相は「内閣支持率維持」の
強力な助っ人として緒方さんを迎えたいと
思ったのではないでしょうね..と疑惑の目を
持って見てしまう此の頃…。

一番気になるのは川口さんが外務大臣になって
外務省は変わるのかな…ということ。
うやむやにしないで欲しい。
手腕を発揮し 建設的な遣り方で綺麗に
お掃除をしてもらいたいと思う。
センセーショナルなことはしないでもいいから
手順を踏んでお仕事をこなしながら、
やっぱり厳しく省内を統括するのが
川口さんの大きな任であると思う。

お昼のTVで橋本氏が鈴木宗男氏の委員長辞任を
やたらに褒めていたけれど、これは
「あぁ〜…やっぱりなぁ〜」と思った。

小泉首相の最初の姿と発言は何処?
一体何処に行ったの?

聖域なき改革…でしたよね。
でも、ちっともそうではないのですけれど。
どうしてかしら?ガッカリです。

真紀子さんがやけに晴れやかな表情だった
けれどああいう笑顔は外務大臣の頃には
見たことがなかったので新鮮だった。

真紀子さんの更迭のニュースが飛び込んで
しまったので、大橋巨泉さんは全く注目を
浴びてないけれど『無責任』であるな…
と見られてもしかたないよね。






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*・・・私たちがしなければいけないこと・・・*

at 2002 02/02 20:52



『青山さんの記述に感銘を受けて』
※その感慨を忘れないうちに思い付くまま羅列する

今、私たちが緊急にしなければいけないことは
諦めないでいることであると思う。

手の平を返したような振る舞いをすることなく
信を一度置いたらその信を貫く事。

扇情的な情報に動揺せず 冷静に
落ち着いて事の推移を見守り判断する事。

独善的にならないで「聞く耳」を持ち
いろんな人の意見に耳を傾ける事。

今、私たちがしなければいけないこと
希望を持ち続け 顔を上げて生きること。

それぞれの分に応じた『責務』を
誠実に真面目に担うこと。

当事者であることを自覚すること。

この落ち着かない世を作ってしまったのは
私達の責任であることを自覚すること。
誰のせいでもない、私であり、あなたが
作り上げてきた世界なのだということ。
民意を映し出しているのが世相であると
思えるのだから。






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*・・感謝♪・・*

at 2002 02/05 00:31

今日でマガジンが100号を迎える。
創刊2周年目の記念の号が100号…。

感慨深いものがあって、なんとも言えない
達成感がある。

自己満足に過ぎない拙いマガジンでも
読んで下さる読者さんが居る。

ありがたいことである。

マガジンの内容傾向はその時々のこと
になるので色々な方面に話題が行くけれど
やはりその時に一番関心のある事柄に
なることが多いので 絶えずアンテナは
高く、鋭敏に磨いておかなければならない。

書くことが苦痛の時も時たまあるけれど、
書くことで伝えられることがあるので
やはり継続して行きたいと予定している。

寛大な読者さんの温かいご支援に感謝しつつ
ノンビリとまた道の続く限り歩いて行きたい。

関心を持った事柄への引き続きの見守りも
併行して行ってゆきたいとも予定している。

例えば、池田小児童殺傷事件のこと
音羽の幼児殺人事件のこと
教育問題、政治問題、Netにおいての支援
経済問題、音楽や文学などの藝術分野
日常の雑々としたこと その他

思いつく限りに羅列しても多種多様である。
生きることが単純でないことを物語っている
そんな気がしている…。

いろんな人に出会えたことも大きな収穫である。

通常の人生であれば知り合えない筈の方々と
有益な遣り取りをさせていただく幸運を得て
私はラッキーだと想う。

どうぞ不束者ではありますが、
ヨロシクお願い申し上げます。
ウフフ..。











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*・・ ・・*

at 2002 02/11 11:13






直進す光の道に憧れる
愚人なる吾紆余屈折ばかりなり







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*・・・おおらかさ・・・*

at 2002 02/15 08:26


おおらかに大きく周囲を見回すと
一気に迫る風景がある。

足元ばかりとみていると視野が狭まり
気持ちまで縮こまってしまいそうで
鬱屈するような気分になるものだ。

現実は本当に複雑で困難なことばかりが
横たわっている。
だけれど、それに押し潰されそうであっても
人は生きている限り幸福への追求を諦める事なく
果敢に挑戦を繰り返し行おうとする意欲を
持ち続けることさえ可能な力を携えてもいる。

ただ、その持ち合わせている能力を生かさずに
諦めてしまったり、投げ遣りになってしまったり
なんとかしよう!と踏ん張る強い気持ちを
しっかりと持ち自覚できないと…
気持ちから負けてしまい『白旗』を振る事に
なってしまうから恐ろしいとも思う。

日常の不透明部分、また気持ちの行き違い等
益々トラブルやストレスは増えて来ている。
動機がどうであったのか…
何故、その人がそのような言動をしているのか
想像力をおおいにはたらかせて接してゆきたい
とまた想う。単純なことなど一つもないものだ。

人は不完全で間違うことが多い生き物だ。
ただ、人ほど気持ちや心が繊細な生き物もいない。

おおらかな気持ちでユッタリとした
スンタンスで立っていたい。
できれば受容的に…できれば柔軟に
振る舞いたい。

愚かで不全なる自分を自省しつつ
己の在りようを顧みつつ
今日も発信する。





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*・・・或る数学教師の話・・・*

at 2002 02/15 21:47


先日ある勉強会に出席していろいろな
講義や話を拝聴して来た。

興味深い話であるのでここに書き残そう。
親子関係の話しである。

講師は男性 40代半ばで数学担当という方。

彼は自分の父親との関係を例にとり
今の10代後半から20代前半の子ども達について
その傾向をご自分の観点ではあるが
かなり率直に述べておられていた。

その中で印象に残った言葉

“情報過多の中で彼等はどの情報が
 自分にとって一番大切であり、必要で
 あるのか選ぶことができないでいる。
 或る意味で頭はいいけれど、
 自己決定できない幼さをひきずっている。
 情報は沢山あって一見賢そうなことを
 話すことはできるけれど、その中身は 
 画一的で確固たる信念がないようである。”

“否定されたり、意見をされることを
 極端に忌み、傷付くことを極端に恐れている”

そういう場合にどう対処していいか
分からないようだ。
過保護の弊害なのかとも思える。

彼は自分の父親と相克があり
大学の授業料なども自分で払ったと
語っておられた。
“自分の父親のようにだけはなりたくない”と
暫らくは思って生きて来たとも話しつつ
今では感謝をしていると少し照れながらであるが話しを締め括られた。

彼は自分の父親が公務員であることを
実直で面白味のない生き方をしていると
勘違いしていたそうだ。
だから“絶対に公務員だけにはなりたくない!”
と心に堅く決意して教師になったと言う。

しかし、今では
“あんなに意地を張ることをしなきゃよかった”
と後悔しているとも告白していた。

父親と息子の関係は私には未知の世界である。
我が子の行く末を案じない親はいないが
丁度良い距離を保ち続けることは
至難の業である。

試行錯誤しつつ今日も歩みは続く。









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*・・言葉・・*

at 2002 02/21 22:04


…忖度…
他人の気持ちを推し量る意味の漢語的表現。

思わず苦笑をしてしまったのが
忖度の一つ前の語句である。

…尊大…
いばって、いかにも偉そうな態度をする様子。
横柄。

偶然 辞典に掲載されていたのであるが
あまりにも昨日の参考人招致における
鈴木宗男議員と田中真紀子議員の
発言内容にマッチしている熟語と思う。


…棒を飲む…
やむを得ずそのまま受け入れる


…見解の相違…
物事に対する価値判断や考え方の違い


…玉虫色…
光線の具合により緑色や紫色に見える


日本語の多種多様な意味はとっても
興趣深いと感ずる。
しかし、国会で上記のような言葉を耳にすると
危機感と虚無感に覆われてしまうのは
私だけではないとも思う。
建設的な意見交換時に行き交う言葉とは
到底感じないからだと思う。






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*・・・手応え・・・*

at 2002 02/22 23:56


待ちに待った連絡が訪れた。
その連絡が届いて初めて
どんなに自分にとって大切で重要なことで
あるのか改めて思い知る機会でもあって
心からホッとしてしまって今、脱力感である。

メールは怖い面を持っているけれど
それでも言葉のキャッチボールを
お互いに上手く遣り取りしながら
続けていると信頼の度合いが益々強固に
なって揺るぎ無いものへと変化してゆく
ようで楽しみな連絡ツールでもある。

「謙虚さを忘れずに…
 日々、できるだけ快適に機嫌よく
 過ごすように、気分を変えて、
 前向きに、明るく、活動的に、
 ユーモラスに、余裕をもって。」

そうだよね…そうしていようと
心から想う。
ありがとう…。





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*・・心に響いた歌詞・・*

at 2002 02/24 01:08


償い



作詩・作曲:さだまさし




 月末になるとゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
 必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
 仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
 飲んだ勢いで嘲笑ってもゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

 僕だけが知っているのだ彼はここへ来る前にたった一度だけ
 たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
 配達帰りの雨の夜横断歩道の人影に
 ブレーキが間にあわなかった彼はその日とても疲れてた

  人殺しあんたを許さないと彼をののしった
  被害者の奥さんの涙の足元で
  彼はひたすら大声で泣き乍ら
  ただ頭を床にこすりつけるだけだった
 
  それから彼は人が変わった何もかも
  忘れて働いて働いて
  償いきれるはずもないがせめてもと
  毎月あの人に仕送りをしている


 今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣き乍ら走り込んで来た
 しゃくりあげ乍ら彼は一通の手紙を抱きしめていた
 それは事件から数えてようやく七年目に初めて
 あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

 「ありがとうあなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました
  だからどうぞ送金はやめて下さいあなたの文字を見る度に
  主人を思い出して辛いのですあなたの気持ちはわかるけど
  それよりどうかもうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
 
  手紙の中身はどうでもよかったそれよりも
  償いきれるはずもないあの人から
  返事が来たのがありがたくてありがたくて
  ありがたくて ありがたくて ありがたくて
 
  神様って思わず僕は叫んでいた
  彼は許されたと思っていいのですか
  来月も郵便局へ通うはずの
  やさしい人を許してくれてありがとう
 
  人間って哀しいねだってみんなやさしい
  それが傷つけあってかばいあって
  何だかもらい泣きの涙がとまらなくて
  とまらなくて とまらなくて とまらなくて






初めてこの楽曲を耳にして聞き入っていたら
自然と涙がこぼれ とまらなくなった。
何故だかわからないけれど洪水のように
わぁーーーっと溢れて来るものに抗えず
どうしようもなくなって涙となって現れたのだと
思える。

音楽の持つ力は大きいけれど歌詞の持つ力も
時に激しく人の心を動かす。

その楽曲を耳にした時の人の気持ちや環境
状況によって受け取るものは勿論違って
来るとは思うけれど

この曲は今、不器用だけれど一生懸命に生きている
いろんな場面で頑張っている多くの人の心に響くと
思える。

どちらかと云うと、報われない思いをしていたり
また故意ではなく過失で…不本意であっても人を
傷付けてしまった歌詞の主人公のような
立場におられる人にも
届くメッセージが篭められていると感じる。

償っても償っても…奪ってしまった
命は決して元には戻らない。帰らない。

後悔をしても反省をしても…失ってしまった
人の信頼を取り戻すことは難しい。

それでも

 “人間って哀しいねだってみんなやさしい
  それが傷つけあってかばいあって
  何だかもらい泣きの涙がとまらなくて
  とまらなくて とまらなくて とまらなくて”


と、誰かがわかってくれる時があるかも
しれないと思えてくるからではないだろうか…。
甘い考えであろうか…。どうだろう。






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*・・・始動・・・*

at 2002 02/27 14:24



春は不安定な気分を孕みつつ
始動の気配をも一緒に抱えている

人の心の綾は複雑で煩雑で…
その全てを把握できることなど
おそらく一生をかけてもできないだろうな
などと想いつつ

それでも諦めないでいたい
それでも投げ出したりしたくない
手を差し伸べてそれが届かなくても
差し伸べた手が虚しく空にあっても
その手をこちらへ引き戻すことだけは
しないでいたいと思う…。

時間の経過と共にはっきりとした輪郭が
浮かび上がる時もある
時間の経過と共に本当のことが伝わって来る
場合もある。

軽薄に迂闊にその時の気分や感情で
大切な事柄を決定的にしてしまうことだけは
避けたいと思う。

人は誰でも弱く、間違い易く
脆い面を持っている存在であるのだから
少々のことでも時には動揺をしてしまうことも
ある。だけれど、動揺をそのままにして
見直しをしないでいるのもまた大人気ないよね。

…苦笑しつつそれでも今日も私はここに
こうしている。自分の中にある弱さや脆さに
いささかウンザリしつつ…綻びがある部分を
補強している。誰よりも自分がその綻びや
ボタンの掛け違いに気が付いているのだから
そしたら目を逸らさないで放っておかないで
対処できる余地があるのならメゲズに取り組もう…。

おおいに迷い、おおいに遠回りをしながら
それでも諦めないでいたいじゃない。

なんとも情けないけれど…
なんともカッコも悪いけれど
…ね。






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