…温故知新…日々・徒然・処感・緒感…








静かに思へば、万に、過ぎにしかたの
恋しさのみぞせんかたなき。
人静まりて後、長き夜のすさびに、
何となき具足とりしたため、残し置かじと
思ふ反故など破り棄つる中に亡き人の手習ひ、
絵かきすさびたる、見出でたるこそ、たゞ、その折りの心地すれ。
このごろある人の文だに、久しくなりて
いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、
あはれなるぞかし。
手馴れし具足なども、心もなくて、
変はらず、久しきいとかなし。
〔徒然草 第二十九段〕


“つれゞなるまゝに…”ですね(笑)
えるぜ





処感 2002年3月

*・・花は盛りに・・*

at 2002 03/01 14:57


徒然草 下 第百三十七段より抜粋




花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。
雨にむかいて月を恋ひ、垂れこめて春のゆくへ
知らぬも、なほ、あはれに情(なさけ)深し。


(訳)
桜は満開の桜を、月は満月の月のみを
堪能し賞賛するものなのだろうか。
降る雨に対して、見えぬ月を心に慕い。
簾を垂れて、家の中に身を篭らせて。
「垂れこめて春の行くへも知らぬ間に
 待ちし桜もうつろひにけり」(古今集)
それもまた、しみじみした思いがして、
情趣が深く感ぜられる。



※想像力の豊かな人は何時の世でも
「風流で趣がある」とされていたのだなと
感じる。侘び・寂びにも通じているようで
大好きな一節の一つである。

遭遇した出来事は事実であるけれど、
その事実を踏まえて感じる心や情感には
扉は無用である。

もちろん、満開の桜は美しいし、
満々と光に充ちた満月は素晴らしいのだ。
でも、そういう時ばかりではないのが現実。

古来より、桜と月の表情を語る日本人は饒舌でもある。
枚挙に暇がない程である。





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*・・絆・・*

at 2002 03/03 22:32



弥生の祭り雛祭り

五目ちらし寿司、蛤の潮汁、菜の花の辛子和え
ささみチーズカツ、若布と胡瓜とタコの酢の物
フルーツサラダ、白酒 大人は白ワイン(ミュスカデ)

桃の節句は華やかで好き。
肌寒い一日ではあったけれど
それでも「お雛サマ」のおっとりとした様子…
質素だけれどそれなりのお膳の用意があると
春の気分になれてそれだけでも嬉しい。

只今、上の子は学年末考査の真っ最中
下の子は明日から学年末考査がスタート
それで、やっぱり「勝つ」が欲しくって^^;
しかたなく「カツ」もメニューに入れたのだ。
カツは「克つ」にも「活つ」にも「喝」にも
繋がるから…とこじつけながら
試験前になると何はともあれ料理をする
愚母である。

…私の母もいつもそうしてくれていたので
いつの間にやら我が家にも定着したゲンかつぎ
である。
単なる気休めではあるけれど
なんとなくそうせずにはいられないのは
何故だろうか。

いつもは感じられないけれど
何かの時に強く感じる縁や絆。
いつまでも、大切に大事に育んでいたい。
慈しんでいたい。

それにしても摂りたての若布の見事なこと..
熱湯で湯掻くと瞬時に鮮やかな緑に変身して
目を楽しませてくれる海の幸…
ホンノリと磯の香りもして野趣風味満点である。



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*・・・時には星の囁きに耳を傾けてみよう・・・*

at 2002 03/05 08:37



“あれこれ考えることをやめたほうが
 良いかも知れません。

 そうすることで代わりに、直感めいた
 想像が、今後のあなたの考えを
 潤すでしょう。

 なにかしたいのだけれど、
 落ち着いていたほうが良さそうです。”




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*・・「道徳感情論」より ・・*

at 2002 03/07 19:55



『あなたが逆境に陥っているのなら、
 孤独の闇の中で独りで悲しんでいては
 いけないし、親しい友達の寛大な同情に
 よって自分の悲しみを調節してもいけない。
 できるだけ早く世間と社会の白日の下に
 戻りなさい』……アダム・スミス

 
 民主主義や自由主義経済の主役は
 「自立した個人」だ。
 人は生まれながら自立しているわけではなく
 社会と向き合ってそれを促される。


※日本経済新聞3月7日特集記事
 『再び教育を問う』より抜粋






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*・・・向日葵の君…あづささん逝く・・・*

at 2002 03/13 20:12


   

『もうだめだと思った瞬間に人は負けているのかもしれない
 どんなに困難だと思えることでも
 どんなに無理だと思えることでも
 諦めない、その姿勢が大切なんだと思う
 あづがこの世を去ったとき、それは決して負けたわけじゃない
 あづは最期まで諦めないし生きる望みを捨てはしないのだから』



『あらがえない運命はどうしようもない
 でもね、あづは幸せだったよ
 ほんとに幸せだったと心からそう思うの
 だから泣かないで・・・
 そしてもしあづを思い出してくれることがあるとき
 そのときは笑顔のあづを思い出して
 それがあづさの願いです

 心から愛を込めて・・・
 ありがとぉ』

あづささんの日記より



*3月7日午前3時45分永眠されました*





忘れたりしないからね…
思い出すのは、明るい前向きな貴女の
お茶目な様子だけ…。

…。今はまだ信じられなくて…。
目の前が真っ白になってしまってます。
貴女のホーム・ページの肖像画..
こちらへ貼りましたよ…。



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*・・静かに思へば・・*

at 2002 03/17 23:34



静かに思へば、万に、過ぎにしかたの
恋しさのみぞせんかたなき。
人静まりて後、長き夜のすさびに、
何となき具足とりしたため、残し置かじと
思ふ反故など破り棄つる中に亡き人の手習ひ、
絵かきすさびたる、見出でたるこそ、たゞ、その折りの心地すれ。

このごろある人の文だに、久しくなりて、
いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、
あはれなるぞかし。
手馴れし具足なども、心もなくて、
変はらず、久しき
いとかなし。
      
〔徒然草 第二十九段〕




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*・・春の息吹き ・・*

at 2002 03/21 23:20

黄色いチューリップをリヴィングに飾った。
心がパーッと晴れるような気持ちで
このホンワカとした春の使者を歓迎した。

春は 憂いと喜び 明と暗
両面の顔を携えて巡って来る。

このホーム・ページを開始したのも
2000年4月15日..と春の季節であった。
さまざまな方々との遣り取りや出逢い
そして別れなどを経てもう直ぐ2周年を
迎える。

大きな節目であるマガジンの100号達成は
とても感慨深く迎えることが叶った。

あづささんとの日々は最期の最期まで
諦めない、挫けない、休まない…を
真っ当できたと思える。

現在、あづささんのサイトは従姉妹さんの
ご尽力と今まであづささんをずっと見守って
来た人々の熱意あるパワーで見事に復活しつつあり力強く存在感を今も示してくれていて
嬉しい。

BBSの賑わいがなんとも懐かしく嬉しい。
今にも 
“みぃんなぁ〜ありがとぉ〜♪(~o~)”
 と言って
彼女が語り掛けて来てくれるような錯覚さえ
起きてきて…それが少し寂しい。

輝いたまま彼女は天使となって今も
向日葵の原に居てくれている…。
そうも思えてとても心が慰められる。

処感もしばらく更新もできずにいたけれど
やっと重たい腰を上げて言葉を綴り始める
ことができた。これもあづ姫のお蔭である。

行く春の季節を桜の花びらを追うように
懐かしみつつ思いを篭めて言葉を残そうと
思う。

ありがとう…あづささん。
これからはいつでも逢えるね。





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*・・・春雷・・・*

at 2002 03/31 22:07



やけに温かいなと思っていたら
夜になってから春雷と豪雨…
荒々しい空模様となってしまった。

明日からは新年度である。
すべての用意は整った…。
また歩き始めるだけである。

愚直でもいい
遅くてもいい

自分の足で歩いて行きたい…ただそれだけ
時には少し休みつつ、それでもまた
歩くこと…

いろいろな想いを味わい
いろいろな想いに煩わされ…
さまざまな心境を持ちつつ過ごす日々

それでも花は咲き、小鳥は謳い
仔猫は眠り、星は輝く

それでいい…それでいい…
あるがままに..その姿のままでいい








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